きっかけ
あれは私が中学二年の冬だったとおもいます。
当時県営団地に住んでいたのですがその棟のうらで剣道の素振りをしていました。
急に腰から背中にかけて鋭い電気のような“痛み”が走りました。それ以来、私の腰痛人生がスタートしたのです。
その後、さまざまな病院、鍼灸院、接骨院、腰痛治療と名のつくところは全て通ってみたんですが、いっこうに良くなることなく時間は過ぎていきました。
高校時代の剣道が影響したのか、高校から“ツキ”なる技があるものですから首まで痛めてしまい、それどころか社会に出てから 私の腰痛はますます悪化しついには臀部から足首にまで痺れが襲ってきたのです。
首も痛くて寝れない日もあり、30代に入ってから仕事を休むことも多々あり、会社には病休の言い訳もできないほどになり、重い荷物はほとんど持てなくなり生まれたばかりの長女もだっこできない始末です。ストレスから女房に八つ当たりしたりしてしょっちゅう夫婦喧嘩ばかりしていました。今ではとてもその頃のことが恥ずかしく思えますし、反省しています。
1998年の10月、とうとう腰や足の痺れに耐えかねた私は、ワラをもすがる気持ちで“カイロプラクティック”なる看板を見つけました。半信半疑で治療に行くことを決め、恐そる、恐そる体験してみました。次の日、朝起きてトイレに行く時一瞬寝ぼけていたんだと思います。我に返って見ると“ない!痛みが!ない!”昨日まで朝トイレに行くのが辛かったあの腰の痛み、痺れが消えているんです。こんな衝撃を受けたのは生まれて初めてでした。
それ以来私の人生は一変し、患者からセラピストへと転身したのです。
それから骨盤矯正理論とボディーメカニクスの研究に没頭しました。
できるだけカイロプラクティックケアをもっと多くの人に理解してもらいたくOCA協会(沖縄カイロプラクターズ協会)、浦添カイロ学院も設立し、今日に至っています。
あのとき、腰を痛めていなかったら。今の私はなかったかもしれません。
自身の姿勢がかなり悪かったことが一番の原因だったと、昔の写真からもうかがえられるようです。今では、運動もできるようになり日々楽しく過ごしています。
「私と同じ悩みを持っている人をできるだけ早く、できるだけ多く、解決したい」
その想いが、「骨盤矯正理論」を体系化するきっかけとなりました。
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