仲宗根長春こんにちは、浦添カイロ 仲宗根です! 今日はわたしがカイロプラクティックと出会ったきっかけをお話します。 あれはわたしが中学二年の冬だったと思います。 当時県営団地に住んでいたのですがその棟のうらで剣道の素振りをしていました。 急に腰から背中にかけて“ギクッ”と痛みが走ったのです。それ以来、20年以上も腰痛に悩むことになります。 さまざまな病院、鍼灸院、整骨院、 腰痛治療と名のつくところはすべて通ってみたんですが、いっこうに症状に変化がみられることなく時間は過ぎていきました。 高校時代の剣道が影響したのか、高校からは“ツキ”なる技があるもんですから、くびまで痛めてしまい、それどころか社会にでてから わたしの腰痛はますます悪化しついには足にまでシビレが現れたのです。 くびも腰も痛くて眠れない日々が続きました。 30代に入って仕事を休むことも多々あり、会社にも病休の言い訳もできないほどです。 重い荷物を運ぶどころか、生まれたばかりの長女もだっこできない始末です。 ホント暗い毎日でストレスから女房にもあたってちゃったりして 今ではとっても反省しています。。 1998年の十月、とうとう腰や足のシビレに耐えかねたわたしは、ワラをもすがる気持ちで “カイロプラクティック”なる字を見つけました。 半信半疑で治療に行く事を決め、恐る恐る体験してみました。(皆さんと一緒だったんですね) 次の日、朝起きてトイレに行く時、一瞬 寝ぼけていたんだと思います。我に返ってみると“ない!痛みが。。 ない!" 昨日まで朝トイレに行く時にあった足の痛み、シビレがほとんど“なくなってるんです” こんな衝撃を受けたのは生まれて初めてでした。 それ以来わたしの人生は一変し、熱狂的なカイロ信者となったのです 一緒に勉強したメンバーで与那原の名幸さん、宜野湾の上原さんと共に現OCA協会の前身カイロプラクターズを結成し、お互いに技術の向上や地域のボランティア活動などを中心に取り組んできました。 いろいろな本や活動を通じてわかったことなんですが、腰痛やくびの痛みに妥協しては “いかん”ということです。 逃げちゃだめ! 頑張れ!治すのはあなたです。 それから“症状が落ち着いた後”の予防ケアも大事なものだとわたしは思います。 施術をしてきてたくさんの仲間とめぐり会いました。 カイロが誰よりもスキ!わたしの人生を変えてくれたカイロ!あのとき、腰を痛めてなかったら。。 あのとき、あの人に出会えていなかったら。。みなさんにお会いできなかったでしょう! | |
島袋みずえこんにちは、 わたしがフットセラピーとであったエピソード聞いてください。 昭和62年、大阪のある講和会で、フットセラピーの創設者・寒河江徹先生と夫が初めて出逢いました。 大阪から帰ってくるなり『すばらしい先生と出逢った』と目を輝かせて話していたのが鮮明に浮かんできます。翌年わたしも先生とお会いすることができ初めてフットセラピーの講和会と実技講習を体験しました。 そのときに先生が「健康貯蓄を広げよう」「自分の健康は自分で守る」この言葉に感銘をうけ、わたしの人生観は変わりました! また先生は、「現代病は排泄不全だ」と出会った頃からお話されてました。 排泄には大便、小便、汗、呼気、涙などがあります。 こられがうまくいかないと「心理的排泄」も フットセラピーは間脳の調整ともいわれそれによって自律神経の働きも良くなりカンタンな手技にもかかわらずすばらしい効果が得られる施術です。 受けた人の中には感動で涙を流す人もいます。 わたしは自己紹介するときにフットセラピストです。 またの名を“ひらめくセラピスト” フットセラピーをしている時のわたしはとても心地がよく、動きながらも瞑想している感覚のように自分が観音様か聖母マリア様になったようなやさしい気持ちになれるのです。 もちろん受けている方もリラックスして施術が受けられその時々にあった癒しのエネルギーを感じることができます。 同じ勉強をした仲間たちには、山形、山梨、鹿児島、東京、奈良のメンバーもいて、その人たちの中にはわたしと同じく指導者として地域で活動を広める仲間もいて、いつも頼もしく思います。 多くの人たちから喜ばれ、感謝され、慕われ自分がしあわせになれるフットセラピー。 一人の魅力ある方との出逢いが人生をこんなにも豊かにし、人生は人との出逢い、たくさんの愛の出会い(出愛)による積み重ねであることを教えてくれました。 理解ある夫、たくさんの可能性を秘めた子供たち、たくさんの素適な仲間たち、尊敬する先生方、本当にありがとうございます。 フットと出逢って人生が変わったと目うるませて話をする友達がいてひと目をはばからずに道端で一緒に抱き合い大泣きしたこともあります。 わたしの人生を楽しく“ワクワク”させてくれたフットありがとう。 | |
渡久地二楠子こんにちは、アロマテラピーの講師の わたしがアロマに出会ったストーリーをお話します。 私は21歳のときに、沖縄から出てみたいという単純な理由で内地に行き、30歳で沖縄に帰って来ました。 しかし、なんとなくしっくり来ないような違和感があって、自分に何ができるのか・・・ 何がしたいのか・・・人生を初めて真剣に考えた時期でした。 就職情報雑誌やフリーペーパーなどもたくさん見て、目にとまったのがあるボディケアスクールの記事。 内地にいた時の私は、長時間のパソコンやストレス、生活習慣などで、肩こりがひどく、指圧マッサージ、整体、カイロ、針灸、アロマなど1週間に1回は必ず、あちらこちらの院やサロンにお世なっていたことを思い出し、「あっ!これだ!」「人と関わるボディケアの仕事がしたい!」って、初めて自分がやってみたい事を見つけたんです。 社会人になって何年もたち、勉強することから遠ざかっていましたので最初は少し不安もありまボディケアスクールでは、良いアロマ植物油のみを使用するオイルマッサージを教えて頂き、どうせなら香りのマオイルを加えた方が、よりリラックスできるのではと、友達の紹介してくれた、「ナード・アロマテラピー協会」の認定校でく精油の勉強をすることにしました。 精油についての知識が全なかった私は、「アロマは香りの良いもの」程度の認識しかなく、授業が進むにつれ、その効能・効果について感動しました。 精油は植物の花や葉、根、茎などから抽出されます。 びっくりしますが日本では、雑貨扱いされていてアロマにおいてはまだ後進国。 それぞれ薬理作用があり、フランス、ベルギーなどでは(香り)は人間の本能に直接働きかけるので、香りが心身に及ぼす良い影響についても研究され保険適用される医薬品として処方され代替医療の一つとして注目が高まって来ています。 浦添カイロプラクティック学院では、化学的に分析されたケモタイプ精油を使用し、成分分析表をもとに精油の薬理作用を勉強します。 授業では、ルームコロンや化粧水、美容クリーム、石鹸、肩こり用のブレンドオイルなど、自分のオリジナルの手作りコスメを作りながら、より実践的に楽しく学ぶことが出来ます。 また、トリートメントの授業も行っています。 精油の作用を考慮し、お客様の好きな香りや体調、心の状態に合わせたオイルをブレンドし使用します。 お客様を大切にする心を一番重視し、タオルのかけ方など、細かい心遣いについて学んでいきます。 優しい愛情たっぷりのトリートメントです。 アロマテラピーは、自分自身のセルフケア、家族のためのホームケア、そしてお仕事にも役立ちます。 | |
高宮城力 |